【1】はじめに
夫婦カウンセリングにて、「夫(妻)がそんな風に感じている(考えている)のを初めて知りました」とおっしゃる方が少なからずいらっしゃいます。「私も山崎さんと同じように伝えているのに、どうして伝わらないのでしょう」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
何回かに分けて、夫婦の会話が噛み合わない原因と対策について考えたいと思います。
【2】共感女性と解決男性の違い
コミュニケーション不全の例としてよくあげられるのは、「共感」女性と「解決」男性の違いです。相談という行為に求めるものが異なります。
女性にとって相談とは多くの場合、まず「気持ちをわかってほしい」という想いが込められています。
男性にとって相談とは多くの場合、「解決策を考える(または提示する)」ことを意味します。
もちろん、女性も解決を求めることに違いはないでしょう。しかし、その前に気持ちをわかってくれたという実感を欲することが多いです。「とりあえず聞いて」と言われたことがある男性もいるでしょう。聞いてもらい、わかってもらえた実感が得られると、それで解決ということもあります。そのような経験がある男性もいるでしょう。
逆に男性には、「終わったことをあれこれ言っても仕方ないやん」「これからを考えたらええやん」という人が多いです。それでも気持ちをわかってもらうとがんばると、「俺にどうしてほしいの?」という言葉が返ってくることもあります。解決に向かえないもどかしさが感じられます。
共感男性と解決女性のカップルにお目にかかることがあります。そのようなカップルの場合は男性と女性を入れ替えて考えて下さい。
なお、悩みが深いとき、うつ状態の時には、男性でも「苦しいなあ」「よく踏ん張ってるなあ」などの共感の言葉が必要です。
【3】『共感』ではなく『共感的理解』
『共感』という言葉が広く認識されているのでここまで使ってきましたが、正確には『共感』ではなく『共感的理解』です。私は話を聞くとき、『共感的理解』は必要だけど、『共感』はなくても大丈夫と考えています。
『共感』を辞書で引くと以下のように書かれています。
(1)他人の考え・行動に、全くそのとおりだと感ずること。同感。「ーを覚える」「彼の人生観にーする」
(2)『心』[sympathy]他人の体験する感情を自分のもののように感じ取ること。
(3)『心』[empathy]感情移入〔iPhoneアプリの『大辞林』(物書堂)より引用しました〕
同感や感情移入という言葉が出てきます。たとえ夫婦でも、同感と感じないことは普通にあると思います。感情移入できないことも普通にあると思います。「共感してほしいと言われてもできません」という人がいます。そうだろうなと思います。
『共感的理解』には、同感や感情移入は不要です。『共感的理解』とは、「自分は同じように感じないけれど、あなたはそのように感じているのですね」と『理解』することです。「同感も感情移入もできないけれど、あなたがそのように感じていることは理解できます」ということです。
これならできると思いませんか。
「解決しなくていいのですか?」と夫婦カウンセリングにて、夫から言われたことがあります。解決できるに越したことはありませんが、すぐ解決するのがむずかしいケースは少なくありません。
たとえば、このようなケースがあります。
はじめての赤ちゃん。子育てはわからないことばかり。実家は遠く離れている。サポートは得られない。夫の帰宅は毎日22時過ぎ。家事・育児に関与できるのは休日のみ。妻一人でやるしかない現実はわかっている。しかし、ままならない毎日に心は限界。
やりきれない気持ちを夫にぶつけてしまう。夫は何もできないとわかっているけど、気持ちをぶつける相手は夫しかいない。毎日のようにストレスをぶつけられる夫。ある日、とうとうガマンできずにキレてしまう。
残念ながら、妻の現状をすぐに改善する方法はなさそうです。
妻が夫にストレスをぶつけたとき、夫が「ごめんな、何もできなくて。いつもつらそうで、申し訳ないと思ってるし、がんばってくれてることに感謝してる」と返したらどうなるでしょう。
「わかってくれてる」とホッとする妻が多いんじゃないでしょうか。現状をすぐに解決できないことは、妻自身もよくわかっているはずです。それでも、やりきれない気持ちを処理できない。それが、夫が「わかってくれてる」と感じた瞬間、和らぎます。
『理解』で物理的な解決は得られませんが、感情のトラブルを解決に向かわせることは可能です。
共感的に『理解』したことが相手に伝わらなければ、相手は理解されたと思いません。また、理解を得やすい伝え方と、逆に反発を招きやすい伝え方もあります。次回は『伝え方』について考えたいと思います。
【4】まとめ
- 共感タイプと解決タイプの違いを理解する。
- 解決の前に共感的理解。
- 理解したことが伝わらなければ意味がない。理解を得やすい伝え方がある。